どうも、ふうです。
退職後、私は自分のことを説明するときに、冗談っぽく
「無職だから」
「ニートだから」
と言うことがありました。
深刻そうに言うと重くなるし、相手に気を使わせたくない。
自分から明るく言ってしまえば、「まあ、そんなに気にしてないよ」という雰囲気を出せる気がしていました。
でも今思うと、それって逆に、かなり気にしていたということなんですよね。
本当に気にしていなかったら、わざわざ自分から何度も言わなかったと思います。
その言葉を先に出しておくことで、相手から悪く思われる前に、自分で予防線を張っていたのかもしれません。
退職したことそのものより、退職後の自分をどう説明すればいいのか分からないことが、思っていた以上にしんどかったです。
初めて、どこにも所属していない自分になった
大学を卒業して会社を辞めたあと、私は初めて「どこにも所属していない自分」になりました。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学。
今までずっと、どこかに所属していました。
学生の頃は、職業欄に「学生」と書けた。
就職してからは、「会社員」と書けた。
でも退職後は、そのどちらでもなくなりました。
- 学生でもない
- 会社員でもない
- 何かに所属しているわけでもない
ただ職業欄に書く言葉がなくなっただけなのに、自分が社会の外側に出てしまったような感じがしました。
もちろん、仕事を辞めたからといって、社会から本当に追い出されるわけではありません。
家族もいるし、友達もいるし、生活も続いていきます。
それでも、「所属がない」という状態に慣れていなかった私には、自分の立場が急に不安定になったように感じました。
「無職」「ニート」という言葉を、無能の烙印みたいに感じていた
仕事を辞めたあと、自分の肩書きがなくなる感覚がありました。
それまでは、会社員とか、新卒とか、どこかに所属している人として説明できた。
でも退職すると、急に自分を説明する言葉がなくなったように感じました。
そのときに出てきたのが、「無職」とか「ニート」という言葉でした。
本来、それらはただ今仕事をしていない状態を表す言葉のはずです。
でも当時の私は、その言葉を単なる状態ではなく、どこか「無能の烙印」のように感じていました。
働いていない。
ただそれだけのはずなのに、まるで自分そのものに価値がないと言われているように受け取っていた気がします。
「自分はあのニートなのか」
「普通のレールから外れたのか」
「ちゃんとしていない人間になったのか
そんなふうに、自分で自分を見てしまっていました。
誰かに言われたわけではありません。
周りから強く責められたわけでもありません。
それでも、自分の中でその肩書きがどんどん大きくなっていきました。
仕事をしていない時期があることと、自分に価値がないことは同じではない。
でも退職後の私は、その2つをほとんど同じように感じていたのかもしれません。
冗談っぽく言うことで、自分を守ろうとしていた
私がその言葉を明るく言っていたのは、自分を守るためでもありました。
先に自分から言ってしまえば、相手に変に気を使われない。
自虐っぽく言えば、場の空気も重くならない。
あくまで自分はそんなに気にしていない、という雰囲気を出せる。
そう思っていたんだと思います。
でも、その言葉を何度も使っているうちに、自分の中でもその肩書きがどんどん大きくなっていった気がします。
自分を守るために使っていたはずの言葉で、結果的に自分を傷つけていたのかもしれません。
冗談っぽく言っているつもりでも、言うたびに少しずつ、自分で自分をその枠に押し込めていた気がします。
もちろん、そういう言い方をすること自体が悪いとは思いません。
それを明るくネタにして、自分の活動につなげる人もいると思います。
でも、もしその言葉を使うたびに気分が落ち込むなら、無理に使わなくてもいいと思います。
楽しむことにも、どこか引け目があった
退職後は、楽しいことをしているときにも、どこか引け目がありました。
いいご飯を食べるときにも、私はよく、
「無職なのに、こんなの食べていいのかね」
みたいなことを、冗談っぽく言っていました。
口調は明るかったと思います。
笑いながら言っていたし、場を重くしたかったわけでもありません。
でも今思うと、それもかなり気にしていたから出ていた言葉だったんだと思います。
本当に気にしていなければ、わざわざそんな前置きをしなくてもよかったはずです。
- ご飯を食べる
- 服を買う
- 遊びに行く
- 少し贅沢をする
普通なら、それだけのことなのに、働いていない自分には許されていないような感覚がありました。
「今の自分が楽しんでいいのか」
「お金を使っていいのか」
「こんな暮らしをしていていいのか」
そういう引け目が、冗談っぽい言葉として出ていたのかもしれません。
退職後に苦しかったのは、何もしていない時間だけではありませんでした。
楽しいことをしている時ですら、「今の自分が楽しんでいいのかな」と考えてしまうことがありました。
人に「今なにしてるの?」と聞かれるのが怖かった
退職後は、友達からの連絡も少し怖くなりました。
相手は普通に連絡してくれているだけなのに、私の中では、
「今なにしてるの?」
「仕事は?」
「これからどうするの?」
と聞かれたらどう答えよう、と勝手に身構えていました。
家族にも、今までお世話になった人にも、どこか引け目を感じていました。
本当は、それくらいで関係が壊れるわけではないんですよね。
友達も、家族も、過去にお世話になった人も、多くの場合は、
「そうなんだ、大変だったね」
「今は休んでるんだね」
「また落ち着いたら考えればいいよ」
くらいで受け止めてくれるのかもしれません。
それなのに、自分だけが「こんな自分で会っていいのかな」と思い込んで、勝手に距離を取ろうとしていたのかもしれません。
退職後に苦しかったのは、働いていないことそのものだけではなく、「今の自分で人とつながっていていいのか」と感じてしまったことでした。
周りより、自分が一番気にしていた
退職後にしんどかったのは、周りから見下されたことではありません。
むしろ、周りは思っていたより普通でした。
何か聞かれたとしても、責めるというより「大変だったね」と受け止めてくれる人もいました。
それでも苦しかったのは、私自身が一番その肩書きを意識していたからだと思います。
周りに見下される前に、自分で自分を見下していた。
周りに責められる前に、自分で自分を責めていた。
そんな思い込みで、自分を必要以上に追い込んでいました。
もちろん、誰もが優しく受け止めてくれるわけではないかもしれません。
中には厳しいことを言う人もいると思います。
でも、少なくとも自分が想像しているほど、周りは自分の肩書きばかりを見ているわけではない。
それなのに、自分だけが働いていない自分を意識しすぎて、勝手に劣等感を膨らませていました。
思い込みは、本当に怖いです。
自分を説明する言葉は、選び直してもいい
退職後、私は自分のことをどう説明すればいいのか分からなくなりました。
学生でもない。
会社員でもない。
職業欄に書ける言葉もない。
それだけで、自分が何者でもなくなったような気がしていました。
でも、今は少し思います。
そもそも、自分を一言で表す必要なんてあるのでしょうか。
会社員。
学生。
フリーランス。
無職。
ニート。
そういう言葉は、たしかに便利です。
人に説明しやすいし、社会の中での立場も分かりやすい。
でも、人って本当は、そんな一言だけで表せるものではないはずです。
働いていない時期があっても、
- 家族と話す自分
- ご飯を食べる自分
- 散歩をする自分
- 何かを書こうとする自分
- 少しずつ立て直そうとしている自分
はいます。
それなのに、「無職」という一言だけで自分をまとめてしまうと、それ以外の自分が見えなくなってしまう。
何者かでいなければいけない。
一言で説明できる自分でいなければいけない。
そう思い込みすぎていたことも、苦しさのひとつだったのかもしれません。
今は、うまく説明できない時期があってもいいと思っています。
「何者か」になる前の途中でもいい。
まだ名前のつかない時間を生きていてもいい。
自分を一言で表せなくても、生活は続いていくし、人生が終わるわけではありません。
むしろ、肩書きがない時期だからこそ、自分が何を大事にしたいのかを考え直せるのかもしれません。
今は「少し休んでいます」くらいでいい
退職後、まだ働ける状態じゃない時期もあると思います。
すぐに転職できる人もいれば、少し休まないと戻れない人もいる。
体調や気持ちが追いつかず、しばらく動けないこともある。
その時期に、わざわざ自分を傷つける言葉で名乗らなくてもいいと思います。
「今は少し休んでいます」
「生活を立て直しているところです」
「少しずつ次のことを考えています」
それくらいでいい。
今の状態は、最終形態ではありません。
退職後に働いていない時期があるとしても、それは人生が終わったということではなく、まだ途中にいるだけです。
ずっとそのままでいい、という話ではありません。
もし今の状態が長く続いて、自分も周りも苦しくなっているなら、少しずつ改善していった方が、自分の人生も楽になると思います。
でも、途中の段階で必要以上に自分を責める必要はない。
まだ道半ばなら、道半ばとして扱えばいい。
今は、立て直している途中でいい。
まとめ:肩書きより、今どう立て直していくか
退職後、私は「無職です」「ニートだから」と明るく言っていました。
でも本当は、かなり気にしていました。
自分から明るく言うことで、気にしていない雰囲気を出したかった。
でもそれは、裏を返せば、それだけ強く意識していたということでもあります。
今振り返ると、周りが思っている以上に、自分が自分を責めていました。
周りに見下されたから苦しかったというより、自分で自分を見下してしまっていたのかもしれません。
退職後に肩書きがなくなると、不安になります。
人にどう見られるかも気になります。
楽しむことにも引け目を感じることがあります。
でも、思い込みで自分を追い込みすぎなくていい。
自分を一言で説明できなくてもいい。
肩書きだけで、自分の価値が決まるわけではない。
「無職」でも「ニート」でもなく、今はただ、暮らしを立て直している途中。
そう考えるだけで、少しだけ自分を雑に扱わずに済む気がします。
働いていない時期があることより、その時期の自分をどう扱うかの方が大事なのかもしれません。
焦らなくてもいい。
でも、少しずつ立て直していけばいい。
今はまだ、道の途中です。


コメント
こんにちは。ブログ村から来ました。
休職、退職の辛さに共感しましたので、コメントさせていただきました。
今お辛いかと思いますが、乗り切ってください。
応援しています。
こんにちは、コメントありがとうございます。
ブログ村から来てくださったんですね。
休職や退職の話に共感していただけて、とても嬉しいです。
正直、まだ立て直しの途中ではありますが、こうして読んでくださる方がいると、とても励みになります!
温かいコメント、本当にありがとうございます。